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島信之の碑

2016年4月5日

 

種別 有形文化財(考古資料)

所在地 柳川市大和町鷹ノ尾字島

 天正8年(1580)、日向国米良郷(ひゅうがのくにめらごう)の米良安岐守信之(めらあきのかみのぶゆき)は、主従(しゅじゅう)数十人とともに、鷹尾城主田尻鑑種を頼って鷹尾の地に来ました。米良信之は、海岸のよし洲を拓(ひら)き、島堀切村数十町を開拓し、名を島十右衛門(しまじゅうえもん)と改称した島氏の祖(そ)で、慶長11年(1606)、死去しました。高さ1.5メートルの自然石の墓には、「深諦院殿法誉善海大居士慶長十年丙牛三月二日」と銘(めい)が刻(きざ)まれています。

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