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木村緑平

2014年4月2日

柳川の文人 木村緑平

 自由律の俳人木村緑平は、明治21年南浜武に生まれ(一説には上町)、中学伝習館を経て、長崎医学専門学校へ進みます。 伝習館在学中にはすでに「万朝報」に俳句を投稿していますが、長崎医専時代に荻原井泉水に師事し、活動が本格化したようです。緑平の号も井泉水から与えられたものです。

 

 医専卒業後は、大牟田の三井三池鉱業所病院に勤務しますが、ここで漂泊の俳人種田山頭火と出合い、以来物心両面で彼を支えることとなります。

 

 昭和2年に南浜武で医院を開業しますが、すぐに田川郡糸田村にあった明治鉱業所豊国炭砿中央病院(のち赤池炭砿病院)へ移り、しばらく筑豊での生活が続きます。柳川へ再び戻ってきたのは昭和17年で、それから同43年になくなるまで多くの句を詠んでいます。特に雀を詠んだ句が多く、「すずめの俳人」と呼ばれました。

 

備考:この文章は、柳川市史別編『新柳川明証図会』から、井上敏幸氏(編集委員)・長野秀樹氏・田渕義樹氏(柳川古文書館学芸員)の執筆部分を編集したものです。

 

 

 

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