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慶長本土居跡

2016年4月5日

 

種別 史跡

所在地 柳川市大和町皿垣水天宮前県道通り

 筑後藩主田中吉政(たなかよしまさ)は、大川新田(大川市)から柳川から渡瀬(わたぜ/三池郡高田町)までの有明海沿岸32キロメートルに及ぶ慶長本土居を築きました。このうち大川新田から鷹尾までの25キロメートルは、山門(やまと)・三潴(みづま)・下妻(しもづま)3郡の領民を総動員して、慶長7年(1602)8月6日から8日までのわずか3日間で完成させました。吉政は佃町(つくだまち)新田の潮止め口の完成後、慶長12年(1607)に本土居上に新田龍神の石の祠(ほこら)をつくり、田33アールを寄進しました。

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