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豊原一里石

2016年4月5日

種別

史跡

所在地

柳川市大和町豊原字四十丁

慶長17年(1612)、筑後藩主田中吉政(たなかよしまさ)は、領内の主な道路に柳川城下の札(ふだ)の辻(現、辻町)を基点にとして一里塚(石)を設置しました。柳川から三池陣屋(じんや/大牟田市三池)へ通じる三池街道の一里石は、現在の豊原(とよはら)小学校前に設けられ、石柱には「柳河より一里」と刻まれています。街道筋の豊原は、徳益(とくます)~四十丁(しじゅっちょう)~塩塚と出店(でみせ)が続き、鷹尾茶屋を過ぎると、街道は中島(在町/ざいまち)の町並みに続きます。二里石は江浦町(えのうらまち/三池郡高田町)へ続く四箇所(しかしょ)、三里石は渡瀬(わたぜ/三池郡高田町)の福正寺前、四里石は三池新町(みいけしんまち/大牟田市)に建てられていました。

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