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蒲池氏百八人塚

2016年4月5日

種別

史跡

所在地

柳川市大和町塩塚字下塩塚

天正9年(1581)5月28日、蒲池統安(かまちむねやす)が守る柳川城が落城すると、蒲池鎮並(かまちしげなみ)の夫人玉鶴姫(たまづるひめ)をはじめ、子息・侍女ら108人は、統安の二男塩塚石見守鎮貞(しおつかいわみのかみしげさだ)が守る塩塚城に逃れました。6月1日、塩塚城は、佐嘉(さが)城主龍造寺隆信(りゅうぞうじたかのぶ)と鷹尾城主田尻鑑種(たじりあきたね)に挟(はさ)み撃ちにあい、落城しました。108人は、少し東の蒲原に隠れていましたが、ついに自害または殺害されました。後日、遺骸(いがい)を宗樹寺(そうじゅじ)の前に集め、弔(とむら)ったのが百八人塚です。玉鶴姫の遺骸は、本堂の横に埋葬し、その上に若宮神社を建立(こんりゅう)、のち下塩塚の住吉宮(すみよしぐう)に合祀(ごうし)したと伝えられます。

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