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三嶋神社の肥前型鳥居

2016年4月5日

 三嶋神社は、柳川市西蒲池にあります。神社の境内は纏まりのある一画を形成し、楼門前の石橋の前方にはずっと遙か先まで見通せる参道が西へ西へと伸びています。

 

 現在境内には古い建物はありません。ただし、楼門より西、参道を約300メートルほど離れたところに柳川市指定有形文化財となっている三嶋神社石造鳥居がほぼ旧位置に孤立して立っています。

 

 鳥居の材質は、新補の貫石中央部材のみを除いて他は全て火山岩系の黒みがかった粗い石質であり、風化の程度から見て同一時期のものと思われます。その形姿はいわゆる肥前型で、華やかさこそありませんが、どっしりとした安定感ある立面をしています。

 

 本鳥居を実測して製図してみると、柱・貫・笠・額束の四材は完数の尺寸で設計されている、と考えられます。当鳥居は、柱の内法寸法を一間=六・五尺とするところから設計が始まったようにも思われます。

 

 鳥居の正面には刻字があります。右柱に「大檀那田中筑後守橘忠政」、左柱に「御………」「元和元年乙卯十二月吉日敬向」「願主□□□□」、額中央に「三島宮」と各々陰刻されています。左柱の最右列の刻字は甲木清氏のご研究によれば「御代官杉原善左衛門尉家永」と判読できるようです。

 

 本鳥居は、筑後地方における数少ない肥前型鳥居の典型例であり、また元和元年(1615)建設が明確な、当時の形態を良く今日に留めた貴重な文化財です。

 

※この文章は、柳川市史別編『新柳川明証図会』、柳川文化資料集成第4集『柳川の社寺建築1』の山本輝雄氏(前編集委員)、松岡高弘氏(編集委員)、内山一幸氏(調査研究員)の執筆部分を編集したものです。

 

 

 

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