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仙蝶斎素峯

2016年4月5日

 仙蝶斎素峯についてその詳細は不明です。『旧柳川藩志』の画家列伝に「出来町竜蔵院の住職」で「眠蝶斎耕景の門人」、「柳河の画事を勤む」とあり、また『柳川史話』に名を載せる程度で、その存在は今に伝わる作品にうかがうのみです。

 現存作品も多くはなく、そのうち旧柳河藩主の立花家に4点が伝わることから、藩のお抱え絵師であった可能性は高い。

 

 生没年は不明ですが、文政5年、同6年の年紀を載せる作品の存在や、福厳寺杉戸絵が勝永(1795年~1867年)と同時期に制作されたと考えられることから、その活躍期は江戸時代後期とみなされます。

 

 『柳河明證図會』の挿絵をえがいた冨次郎(南汀)は素峯の弟子とされます。

 

備考:この文章は、柳川文化資料集成第3集『柳川の美術1』から、植野かおり氏(専門研究員)、平間理香氏(専門研究員)、魚里洋一氏(専門研究員)の執筆部分を編集したものです。

 

 

 

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