柳川の名物といって真っ先に思い浮かべるのが、ウナギでしょう。
ウナギ料理の中でも特にせいろ蒸しは柳川を代表する料理として、観光客にも人気です。
ところで、いつごろからウナギが柳川の名物になったのでしょうか?
明和2年(1765)に柳河藩士戸次求馬によって著された「南筑明覧」には、柳川の名物として鯉や鮒などが記されているものの、ウナギは見当たりません。しかし、江戸後期の史料からは、ウナギ猟をする者(猟師)、ウナギを計量する者(斤量取り)、仲買、問屋という分業体制が出来ていたことがわかります。こういった猟師やウナギの流通に関わる人たちは、藩に運上という営業税を納めることになっていました。このような事実から、柳河藩がウナギを特産品として捉え、統制下に置いていたことがわかります。
もちろん、許可を得ず、勝手にウナギ猟をすることは許されていませんでした。また、猟師たちは仲買からウナギを安く買いたたかれていたようで、仲買を廃止して、直接問屋に納入できるよう藩に歎願した文書も残っています。
やはり江戸後期と考えられる史料から、大坂の鮒屋という川魚問屋が、柳河藩領内のウナギ購入を独占する契約を藩との間で結んでいたことがわかります。この契約は、3か年目には早くも破綻し、結果として鮒屋は柳河藩領内のウナギ購入から閉め出されてしまいます。
しかしながら、大坂の問屋とこのような契約を結んでいたこと自体、柳川のウナギが全国的に注目されていたことを示していると言ってよいでしょう。
現在食用のウナギは養殖物が多く、天然物は非常に少なくなっている状況にあります。天然物では、潮境にいるウナギが「青」と呼ばれて良質とされ、中でも白い斑点がある「星青」が極上とされています。堀などに住む「赤」と称されるウナギは、あまり重宝がられません。
住む所によって取り方も替わり、川や堀にいるものは「ろうげ」という竹で編んだ筒のような道具で捕り、海と川の境にいるウナギは延縄やウナギ掻きで捕ります。
鰻運上銀受控・夏鰻小買名前帳
乍恐奉願上候口上覚(ウナギ猟師の嘆願書)
覚(契約に基づき、鮒屋が藩に60両納入したことが記される)