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部課長の1分間スピーチ

思い出の国鉄佐賀線

皆さん、こんにちは。
三橋庁舎市民サービス課の目野と申します。
このブログを書くのも今回が最後となります。
よろしくお願いします。

三橋庁舎の会議室に、このような銘板(プレート板)が飾られています。
職場の先輩の話では、昭和62(1987)年3月27日の国鉄佐賀線廃線時に、国鉄から三橋町(現在の柳川市)に寄贈されたものだそうです。

写真1(銘板).JPG
左:国鉄佐賀線を走っていた蒸気機関車の銘板、右:沖ノ端川橋梁に設置されていた銘板

国鉄佐賀線とは

この国鉄佐賀線は、昭和6年9月24日に、瀬高-筑後柳河間(約8.6km)で営業を始め、4年後の昭和10年には瀬高-佐賀間で全線開通(全長24.1km)。
また、筑後川に架かる昇開橋(全長507m)は、大型船舶の通行を妨げないよう、列車通過時以外は橋桁中央部を23m上昇させることができる東洋一の可動式鉄橋と呼ばれていました。
当時の1日の運行本数は、旅客列車で30本。地域住民の足として、また沿線の文化・産業の振興に貢献。最盛期には、急行「ちくご」が運行されていた時期があり、その停車駅の一つが筑後柳河駅でした。
ところが、昭和40年頃から車などの普及に伴い、利用者が減り、昭和62年3月27日に廃線となり、約55年の歴史に幕を閉じました。廃線後、昇開橋は保存され、平成15年に国の重要文化財に指定されています。

写真2(各駅一覧).jpg
国鉄佐賀線の停車駅

この歴史ある国鉄佐賀線は、学生の頃の私にとって思い出の場所です。
いくつかご紹介します。

矢部川橋梁
瀬高駅と三橋駅の間を流れる矢部川に設置された橋梁。
矢部川堤防近くの高校に通っていた私は、堤防から橋梁の方角の景色がとても好きで、特に大学受験を控えた3年生の頃は気分転換のため、何度も眺めたものです。
また、クラスの全員がこの橋梁に入り、卒業アルバム用の集合写真を撮ったのを思い出します。
この写真の奥に見える大和堰の手前に、橋梁が設置されていました。今は撤去され、景色が変わっていますが、それでも癒やされます。

写真3(矢部川堤防からの景色).jpg
学生時代に癒やされた大切な場所

三橋駅
小学校卒業を控えた6年生のお別れ遠足の時、この駅前広場が休憩場所でした。
駅跡は道路として整備され、付近には石碑が建てられています。

写真4(旧三橋駅付近).JPG
三橋駅跡地
写真5(旧三橋駅石碑).JPG
三橋駅の石碑

百町駅
当時、車の運転免許を持たない私が、佐賀市内の大学に通う際に利用した駅です。
自宅から駅までは自転車で5分。ここから佐賀駅まで乗り、そこから大学まではバスか徒歩でした。
駅跡は道路として整備され、三橋駅と同じように付近には石碑が建てられています。

写真6(旧百町駅付近).JPG
百町駅跡地
写真7(旧百町駅石碑).JPG
百町駅の石碑

筑後柳河駅
佐賀線で同じ大学に一緒に通っていた友人M君たちが乗り降りしていた駅。
当時はスマホなどなかったので、ここから佐賀駅まで、車内で他愛もない話をしながら、楽しい時間を過ごしました。
駅跡はYou・遊の森公園として整備されて、キャッチボールやサッカーなどができるほど広々とした広場をはじめ、子どもたちにも人気の遊具や休憩できるベンチなど、老若男女誰もが気持ちよく過ごすことができます。
公園内には、筑後柳河駅の駅名標があります。

写真8(You・遊の森公園).JPG
筑後柳河駅跡地に整備されたYou・遊の森公園

写真9(筑後柳河駅名標).JPG
公園内にある筑後柳河駅の駅名標

遊歩道には数十本の桜が植えられていて、開花シーズンには花見をする家族やグループでにぎわっており、お薦めの場所です。また夜の桜は、昼間の桜とは違って、幻想的で、見る価値があります。

写真10(遊歩道).JPG
You・遊の森公園の遊歩道
写真11(夜桜).jpg
写真12(夜桜).jpg
春には幻想的な桜が咲き誇ります

次回の部課長ブログは市民部長です。

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