皆さんこんにちは。保健福祉部長の池末勇人です。
保健福祉部で3年目を迎えることになりました。
4月は人事異動の時期です。わが部では大きな異動はなかったんですが、保健福祉部の課長5人のうち3人が部内で異動し、1人が他部からの転入でした。課長が代わると課内の雰囲気も変わり、新しい視点で見てくれるので、いい意味で「素人目線」による活性化を期待したいと思います。
松永市長の就任の挨拶にも出てきましたが、その中に「子育てに優しいまちをつくります」という言葉があります。その中心的な施設として、3年前にオープンした「子育て支援拠点 このゆびとまれ」は多くの親子連れに利用していただき、大変好評です。これまでに多くの事業を行ってきましたが、今年度も子どもたちへのベビーマッサージや妊婦向けのマタニティヨガ、子育てに関する相談会や講座など、15種類の事業を予定しています。その他にもコンサートやクリスマス会などスポット的なイベントも随時開催を計画中です。
こんなに多くの講座や行事を開催していただいているスタッフの皆さん、ボランティアの皆さんには頭が下がる思いです。日々ありがとうございます。
そんな皆さんに支えられ、「このゆびとまれ」が多くの人に利用していただくことで、柳川市の子育て支援のシンボル的施設、ランドマークとなるようにみんなで施設を育てていきたいですね。まだ、利用したことがないという妊婦さんや0歳~3歳ぐらいの親子さんは、一度施設をのぞいてみてください。お待ちしています。
このゆびとまれで開催した七夕コンサート
先日、朝のニュース番組で「静かな退職が増えてきているそうです」という話が聞こえてきました。「コロナ禍以降、退職に対してお祝いとか、あまり派手にはしなくなったのかなあ」と思いながら聞いていたところ、「静かな退職」とは、仕事にやりがいを見出したり、熱意を持ったりせずに、決められた業務のみをこなす働き方のことだそうです。それも若い人に多いそうで、34歳以下の約3割がそんな働きぶりだそうです。マジか!! 仕事よりプライベートを優先する働き方を否定するつもりはありませんが、地方公務員として市民の負託に応えるために勤務するのであれば、気持ちだけでも前向きに、そして効率的に業務を進め、仲間と一緒に課題を解決してもらいたいと思うんです。ことし60歳を迎える私としては、あと数年、「静かな退職」的な勤務スタイルではなく、いろんなことにチャレンジする「騒々しい現職」として少しでも前向きに送りたいと思います。
ついでに、残り少ない公務員生活で一番思い出す仕事はというと、広報担当として市の情報を発信したことです。担当者として5年、係長として2年、その後、課長として5年、通算12年。最初はカメラも握ったことがなく、今のようにデジタルではない時代で、フィルムの入れ方も分からない初心者広報マンでした。取材でもまちの人に話を聞いて、それを記事にするんですが、どんな話を聞いてどうまとめるか、その話をどう広げるかなど、手探りのインタビューが続き、上司からはダメ出しの日々で、時にはどうすればいいか分からなくなる時も。それでも毎号締め切りはやってくるわけで、何とか印刷業者さんにはギリギリで原稿を渡すことの連続。そしてやっと終わった翌日からはまた次号の締切に追われるといった生活でした。特に写真は、今のデジタルカメラのようにその場で撮った画像を確認できないフィルムの時代。ほぼ1発勝負でしたので、失敗は数知れず。そんな中、今でも忘れられないのは、ある号の表紙用に撮った写真を上司に見せたら「この写真は表情か良く、卒業のうれしい感じとさみしい感じがよく出ていて良い写真だ」と褒めてもらったことです。やっと認めてもらえたという喜びで、泣きそうなくらい嬉しかったことを覚えています。そのことが自分の中で小さな自信につながり、その後の仕事にも前向きに取り組めたような気がします。ありがとうございました。
平成2(1990)年4月の広報やながわ
最後にプライベートですが、相変わらず息子の野球話です。春の訪れと同時に球春の季節となりました。息子の所属するチームでは、4月から1年生が11人も入団してくれて、久々の20人体制で新シーズンをスタートさせました。我が家のエース(一人息子なので我が家では必然的にエースなんですが・・・)は背番号を17番から7番に変更し、張り切ってシーズンイン。その初戦、5月3日の公式戦では1回戦を見事に完封勝ち、新チーム初勝利を勝ち取りました。地味で苦しい長距離走と筋トレの日々だった冬トレの成果が少しは出たようで、これからの快進撃が楽しみです。
力投する我が家のエース