瀬高庄と鷹尾文書

更新日 2014年04月02日

 平安時代後期に成立した庄園である瀬高庄は、大治六(1131)年に上下に分割されます。瀬高上庄・下庄です。この名前を聞いて、みやま市瀬高町の地名、上庄と下庄を思い浮かべる方もいらっしゃると思いますが、矢部川の右岸の上庄、左岸の下庄という地名はまさにこの庄園名に由来するものです。

 

 鎌倉時代、高良宮(現久留米市の高良大社)の造営費用を筑後国内に割り当てた際に作成された古文書には、瀬高上庄は千百四十町余、下庄は千二十三町余の庄園と記されています。三潴郡一体に広がっていたとされる三潴庄(当時の蒲池村や間村などがその領域内だったことがわかっています。現在の柳川市蒲池地区・昭代地区の多くは三潴庄の領域内だったと思われます。)でも同じ古文書に千二百五十二町とありますから、瀬高上・下庄は山門郡一帯に広がる大きな庄園だったと考えてよいでしょう。

 

 水利の事を考えると、上庄・下庄は矢部川をその境として分割されたと推測されますが、当時の矢部川の流れは現在のそれとは異なると思われ(古い航空写真を見ると旧河川跡がわかる場所があり、かなり蛇行していたようです)、より詳細な検討が必要です。もっとも当時はすべての土地が開発・利用されていた訳ではなく、荒地など未開発の地も多くありました。現在の矢部川の右岸、鷹尾の地にも未開発地が多くあったようで、下庄の関係者によって開発され「鷹尾別符」と呼ばれることになります。そして瀬高下庄の鎮守として尊崇をあつめたのが、現在の鷹尾神社(柳川市大和町鷹尾)です。ここに伝えられた古文書群(柳川古文書館寄託)のうち、百二十一通の中世文書(鎌倉時代のものがほとんど)を含む三百四十一通が国の重要文化財に指定されています。これは、鎌倉時代の当地方の実態を知ることの出来る貴重なものです。興味のある方は、柳川古文書館の開館十周年記念図録に写真と目録を掲載していますので是非ご覧ください。一方、鷹尾文書を読み解くことである程度歴史が判る瀬高下庄とは違い、上庄の事はよく判りません。

 

 ところで、思わぬところで「瀬高庄」に出くわすことがあります。柳河や沖端にある寺院の所蔵する絵伝や半鐘の銘文に「筑後国山門郡瀬高庄柳川町(沖端町)」という記述が出てくるのです(柳川文化資料集成『柳川の美術1』を御覧ください)。また清水寺(現みやま市)にかつてあった鐘の天正九(1581)年追銘には「筑後州瀬高上庄梁川村坂本旦那蒲池兵庫頭家恒」とあります。「坂本」は現在の城内地区の坂本と考えられ、「瀬高上庄」「瀬高下庄」が「瀬高庄」と書かれることが多いことも考え併せると、「瀬高上庄」が瀬高町の上庄周辺だけではなく、柳川市街地の柳河・城内・沖端といった地区までに及んでいたと考えることができます。そういえば、現在の柳川市京町は、昭和七年に名称を変更してできた地名で、それまでは江戸時代以来「瀬高町」と呼ばれていました。

 

 このように現在の柳川市のうち旧山門郡であった地域は、瀬高上庄・下庄どちらかの領域内であったと考えられます。つまり、瀬高上庄・下庄の歴史とは、そのまま柳川市の歴史だということです。

 

 

 

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