柳川の近代

更新日 2014年04月02日

 明治4年(1871)7月14日、「廃藩置県」の詔書が公布され、柳河藩が廃止されて柳河県が成立します。すでに明治2年6月の「版籍奉還」によって、藩主は「知藩事」となり、藩主家の家政と藩の行財政が分離されるなど藩の解体は進行していましたが、廃藩置県によって、知藩事(旧藩主)は解任されて東京在住を命ぜられ、藩が消滅して3府(東京・大坂・京都)302県となりました。

 

 しかし、廃藩置県は周到な準備の後に行われたわけではなく、多くは旧藩がそのまま県になりました。そこで、明治政府はすぐに新しい府県区画の策定に着手し、明治4年11月14日、3府302県を3府72県に統合しました。その結果、柳河県はわずか4ヶ月で廃止され、久留米県・三池県と合併して、筑後一国を範囲とする三潴県となります。

 

 この時、筑前一国を範囲とする福岡県、豊前一国を範囲とする小倉県が成立しますが、明治9年4月18日には小倉県が福岡県に編入合併され(旧中津県は大分県に編入合併)、三潴県は佐賀県を編入合併しますが、同じ年の8月21日、三潴県は福岡県に編入・合併されます(旧佐賀県は長崎県に編入合併)。こうして、現在と同じ範囲の福岡県が成立します。

 

 このように、三潴県が存在したのはわずか4年9ヶ月という短い期間でした。当時は、尊攘派の拠点として反政府の動きを強めていた久留米藩に対する処分(明治4年3月)の混乱も残り、また、隣の福岡県(筑前)で「筑前竹槍一揆」(明治6年6月)が、また、佐賀県で「佐賀の乱」(明治7年2月)が起こるなど不安定な情勢が続いていました。三潴県はいわゆる「難治県」の一つでしたが、その短い期間に、不安定な情勢の中で、徴兵の実施や学校の設置、また、地租改正や秩禄処分など明治政府が進める新しい政策が実施されました。

 

 三潴県の県庁は、当初三潴郡榎津町(現大川市)に置かれましたが、同郡向島村(現大川市)に移転した後、明治5年3月に久留米両替町の旧久留米藩御使者屋に置かれました。また、山門郡柳河城内本小路(現柳川市本町)に柳河出張所が設置され、旧柳河・三池藩領を管轄しましたが、明治6年1月に廃止されています。

 

 三潴県の権令(現在の県知事にあたる)は当初は任命されず、参事(現在の副知事にあたる)の水原久雄(岡山藩士族)が代わりを務めました。その後、明治6年7月に岡村義昌(鶴舞藩士族)が初代権令に、また、明治8年10月に平川光伸(岡山藩士族)が二代権令に就任しています。

 

 明治7年5月の「三潴県職員表」(浮羽郡田主丸町三浦家文書)を見ると、権令岡村義昌、参事水原久雄、権参事塩谷良翰(全て太政官が任命する奏任官)のほかに、71人の判任官(権令が任命)と33人の等外官が、庶務・聴訟・租税・出納の4課に所属していることがわかります。

 

 三潴県が廃止され、現在と同じ福岡県が成立すると、明治12年(1879)には県会が開設され、警察費・土木費・衛生費・教育費・郡区役所費・戸長役場費など地方税から支出される経費の予算とその徴収方法が審議されることになりました。そのうち、土木費については、府県会の議決により、旧慣に基づいて支出することが認められたため、多くの府県で、土木費の支出方法が大きな争点となります。

 

 福岡県の場合、土木費の問題は、筑後(旧三潴県)地域選出議員が治水費の地方税支弁を主張し、筑前(旧福岡県)・豊前(旧小倉県)地域選出のほぼ全ての議員がそれに反対するという地域間対立として展開します。筑前・豊前地域にとっては、治水費が地方税から支出されれば、筑後川や矢部川といった大きな河川を有する筑後地域が有利となると考えられました。

 

 他方、筑後地域では、江戸時代以来三潴県の時代まで、筑後川などの治水は、藩や県が年貢米とは別に直納銀代米(久留米藩、慶応二年に傭役米と改称)や歩米・弐斗五升米(柳河藩)を徴収して実施していましたから、福岡県になって地方税が徴収されるにもかかわらず、治水費が地方税から支出されずに流域の郡・村の負担となるのは不当であると考えられたのです。しかし、県会では、治水費の地方税支弁案は、常に筑前・豊前地域の反対によって否決されました(明治24年可決)。

 

 こうした状況に業を煮やした筑後地域の人々は、明治政府に対して、筑後一国(旧三潴県)を福岡県から分離・独立し、大分県の日田地方を加えて新しい県を誕生させることを請願し、分県運動を展開します。但し、分県運動を行ったのは旧久留米藩の人々であり、旧柳河藩の人々は参加していません。そのためもあってでしょうか、明治政府は筑後地域の分離独立を認めず、分県運動は失敗に終わりました。

 

 以後、分県運動が行われた形跡はなく、明治9年に誕生した福岡県が現在まで続いていくことになります。

 

(柳川市史別編『新柳川明証図会』の柳川市史専門研究員日比野利信氏執筆「三潴県と福岡県」を修正の上、転載)

 

 

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