柳川城本丸跡

更新日 2021年08月12日
柳川城本丸跡(やながわじょうほんまるあと)
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[区分]市指定 
[種別]史跡
[員数]5,931平方メートル
[指定]昭和53年5月1日
[所在地]福岡県柳川市本城町88-2
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概要 

 柳川城は、初め永禄年間(1558~1569)に筑後国衆であった蒲池氏の当主、蒲池鑑盛により蒲池城の支城として築かれ、後に本城となったと伝えられています。天正9年(1581)には肥前の龍造寺氏が蒲池氏を滅ぼし、柳川城は龍造寺氏による筑後支配の拠点となりました。天正12年、龍造寺隆信が沖田畷の合戦で敗死すると、豊後大友勢は戸次道雪と高橋紹運を筑後に派遣し失地回復を図ります。大友勢は各城を攻略しながら西進し龍造寺家晴が守る柳川城を攻めましたが落城に至りませんでした。また、この戦いからの帰還中、道雪は三井郡北野で陣没しました。

 天正15年(1587)、豊臣秀吉の九州国分けにより下筑後3郡を与えられた立花宗茂が入城。この時期の柳川城のことはよく分かっていませんが、市内の三柱神社欄干橋に残る擬宝珠の銘文に一端をうかがうことができます。 

 

 慶長5年(1600)の関ヶ原合戦により立花家は改易され、西軍大将の石田三成を捕えた功績により、岡崎城主であった田中吉政が筑後一国の領主として入城すると、天守閣を備えた本格的な近世城郭を築城しました。内郭は本丸及び二ノ丸の周りを内堀及び三ノ丸で囲み、さらに複数の郭と掘割・土塁で防御した平城です。本丸南西には5層の天守が築かれました。城郭はさらに柳河・沖端の2つの町と沖端川・塩塚川の二河川に囲まれた要害でした。

 

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 その後、田中家は後嗣断絶により2代で改易。元和6年(1620)、奥州南郷の大名に復権していた立花宗茂が筑後柳川に再封され、以後柳川藩10万9千石余を治た立花家歴代の居城として幕末を迎えました。

 明治5年(1872)失火により本丸・二ノ丸と天守は焼失。また石垣は解体され台風で決壊した海岸堤防の修築に使用され、さらに昭和3年から5年にかけて当時の城内村が御大典事業として上水道を敷設するため内堀の埋立及び払い下げを行い、一部が柳城公園として整備されました。現在は天守台を含む本丸の一部が、市立柳城中学校一隅の小丘に柳川城址として遺されています。 

 

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 天守や内堀は失われましたが、筑後国33万石支配の拠点として築かれた柳川城防衛のため機能した城堀及び一部の土塁遺構、町小路と水路により区画された町割りは、往時の機能を保持した全国に類を見ない規模の近世城郭遺構として現在の中心市街地に受け継がれています。
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