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梅沢晴峩

更新日 2016年04月05日

 梅沢晴峩は、かつて『旧柳川藩志』画家列伝の一番目の絵師としてその略歴が伝承をもとに簡単に紹介されています。それによると、絵を江戸木挽町狩野家の晴川院養信のもとで学び、天保9年(1838)に焼失した江戸城西ノ丸の障壁画復旧にも晴川院の弟子として加わったとあります。

木挽町狩野家といえば、当時幕府の奥絵師として最高の権威の座にあった画閥であり、晴川院養信はその九代目当主にあたる。当時の藩御用絵師としては第一級の修行の場にいたということです。しかしながら、木挽町修行時代以前の画歴は不明であるため、いつ、どのようにして木挽町狩野家の門弟となったかはわかりません。

 

 柳河藩お抱えとなった時期については、それを示す史料を見出すことはできませんが、改名の天保六年(1835)頃に、晴峩が藩のお抱え絵師となり、歴史編纂事業に画工として加わったという推察も可能です。

 

 晴峩の生年は不明ですが、北島勝永が晴峩のことを「絵師の友人梅沢晴峩」と述べ、親交があったことがわかるので、寛政7年(1795)生まれの勝永と年齢は近いことが想像されます。晩年は、鬼童小路の西に屋敷を賜って移り住んだといわれていますが、正確な年はわかりません。

 

 没年は、梅沢家位牌の写しから文久4年(1864)2月7日であることが確認されます。北島勝永の孫、勝氏の覚書によれば、晴峩には子がなかったため北島勝永の高弟、中島某を養子とし、後継者として将来を楽しみにしていたが、夭折したとあります。その後、養子となった馨は絵師として後を継ぐことはなかったようです。まさに江戸時代の終わりとともに幕をひいた狩野派絵師でした。

 

 残された晴峩の作品は、その全画業を知るには十分ではなく、特に明治5年の柳川城炎上によって城内装飾が失われた今、お抱え絵師として大画面の絵画制作をどのように成したかということを知ることができないのは悔やまれます。

 

 しかし、総じて晴峩の作品は師である晴川院の洗練された、爽快感のある画風を忠実に受け継いでいると感じさせます。重厚な武張った作品は見られませんが、抜けるような透視感を与える着色山水画に優れた作品が多く残されています。木挽町狩野家での大和絵学習の成果ともいえる典雅な趣が、和歌や能楽を深く嗜んだ12代藩主鑑寛の好むところだったのではないでしょうか。鑑寛の和歌に晴峩の絵が添えられた掛軸が残されていて、藩主の私的な画事にもかかわっていたことがうかがわれます。

 

 一方で、動きのある軽やかな墨線とめりはりのある賦彩、機知を感じさせる構成など、江戸住まいの絵師らしい洒落た魅力もみせます。

 これらは晴峩の画才であり、かつまた江戸時代終わり頃の江戸狩野派絵師に通じる特質ともいえるかもしれません。

 

※この文章は、柳川文化資料集成第3集『柳川の美術1』から、植野かおり氏(専門研究員)、平間理香氏(専門研究員)、魚里洋一氏(専門研究員)の執筆部分を編集したものです。

 

 

 

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