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ADRESS:

柳川市立昭代第二小学校

〒832-0081

柳川市西浜武1490

TEL.0944-72-3334

FAX.0944-72-3364 

ACCESS:

西鉄柳川駅から: 

西鉄バス早津江行乗車→昭代第二小前下車(15分)→昭代第二小学校まで徒歩約1分(56m)

心の体温計.png
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学校の概要

学校の特色

(九州農政局有明海岸保全事務所:撮影=提供)

 

 本校は、沖端川の河口右岸の干拓地の広がる校区にある学校です。
 写真は、校区を南東側有明海上空からみたものです。

 (九州農政局有明海岸保全事務所:撮影=提供)

 

 

 

 ●学校のマップはこちら

 

本校の位置 

本校の位置●北緯33度9分49秒、東経120度23分10秒、海抜2m63cm

校区の特徴 

本校区は、筑後川東岸と沖端川西岸の河口に拓かれた土地です。 柳川市の西部に位置します。

沖田、長藤、浜武、諸藤、古賀、中野、崩道(くえど)東、崩道中、崩道西・昭南、吉原の各学団があります。

全戸数およそ1300戸あまりで、小学校就学戸数は、約159戸で全体の約12%にあたります。

保護者の職業は、海苔の養殖を中心とする漁業関係者が全体の約1割弱で、兼業農家が過半数を占めています。

 

沿革

明治 5年(1872)

 全国で学校のしくみが決まる。

 吉原に吉原小学校、浜武に浜武小学校ができる。

吉原小学校卒業証書 ●吉原小学校卒業証書

  6年(1873)  古賀に常習小学校(民家を借りて)ができる。後に古賀小学校という。(先生男2名、男子生徒29名、女子6名)
  8年(1875)  田脇に松丸小学校ができる。
  10年(1877)  浜武小学校。(男先生2名、女先生2名、男子53名、女子8名)
 

14年(1881)

 三潴郡十九番学区となる。西浜武村に本校一、分校一をおく。
  18年(1885)  吉原小と松丸小の一部(沖田・長藤・浜武・諸藤)を統合して、濱武尋常小学校が現在の場所に開校する。(初代校長=野田 廣先生)
 

19年(1886)

 三カ年の簡易科をおく。(尋常科は4年)
 

32年(1899)

 木村好栄(後の俳人緑平)濱武尋常小学校を卒業する。
 

36年(1903)

 三潴郡濱武尋常高等小学校と名前がかわる。(2カ年の高等科ができる。)
 

42年(1909)

 二階だて四教室がふえる。

明治42年高等科卒業生 ●明治42年高等科卒業生

 

44年(1911)

 平屋一教室増設、特殊学級一学級おく。
大正 9年(1920)

 校舎をつくる。(普通教室四、裁縫室、家事室、理科室、 宿直室、便所など)総工費一万八千円。

 運動場を広げる。

昭和 8年(1933)  初代看護婦の先生(有森アイ子先生)をおく。
  9年(1934)  濱武尋常高等小学校の校歌ができる。(中西健蔵=作詞・津久井昇=作曲)
  10年(1935)  郷土史「はまだけ」が発行される。(濱武尋常高等小学校 発行 上野季雄 校長)
 

12年(1937)

 三潴郡昭代第二尋常高等小学校と名前がかわる。
  14年(1939)

 郷土教育研究校として県の委嘱校になる。

 校舎が増築される。(二階建て教室12) 

 

15年(1940)

 講堂を新しくつくる。(高田一氏が一万五千円を寄贈される)
 

16年(1941)

 三潴郡昭代第二国民学校と名前がかわる。

昭和16年3月卒業写真●昭和16年3月卒業写真

 

22年(1947)

 三潴郡昭代第二小学校と名前がかわる。(六・三・三制)
 

24年(1949)

 PTA組織ができる。(初代会長 高宮純士氏)
 

25年(1950)

 給食D三型(ミルクとおかず週3~4日)を始める。
 

27年(1952)

 4教室を改築、2教室増築する。

 完全給食C型(週3日)を始める。

 

28年(1953)

 大洪水床上70cm浸水、6月27~30日臨時休校後片付けがつづく。
 

29年(1954)

 体育用具倉庫を新しく建てる。十二坪。
 

30年(1955)

 合併により、柳川市立昭代第二小学校となる。
 

33年(1958)

 優良子ども銀行として大蔵大臣から表彰される。
 

37年(1962)

 給食A型(完全給食五日)を始める。
 

38年(1963)

 体育用具室、東便所が火災で焼失する。
 2階建て4教室をつくりかえる。

 福岡県研究委嘱校となる。(理科3年間)

 

39年(1964)

 学習研究社より教育賞を受賞する。(理科教育)
 

40年(1965)

 プールができる。
 

41年(1966)

 ソニー理科教育振興資金20万円を受ける。
 二階建て4教室できる。
 

42年(1967)

 教材園ができる。

教材園 ●教材園

 

44年(1969)

 給食室が新しくなる。
 

46年(1971)

 学童用の歩道ができる。
 

49年(1974)

 学校創立八十八周年のお祝いの式をする。記念の山、遊具をおく。

昭和49年掲示部 ●昭和49年掲示部

 

53年(1978)

 今の管理棟(1棟)本館が完成する。

 福岡県研究委嘱校となる。(特別活動3年間) 

 

54年(1979)

 体育館ができる。相撲場ができる。
 

55年(1980)

 県指定特別活動研究発表会を開く。

 今の第二棟(図書室・給食室など)ができる。 

 

57年(1982)

 福岡県教育文化功労賞をうける。
 

60年(1985)

 学校創立百周年記念の式をする。記念の校門、築山遊具、 藤棚がつくられる。
平成 9年(1997)

 今の第三棟ができる。(食堂・多目的ホール、特別教室五、教室二)

  10年(1998)  運動場が整備される。
  11年(1999)  筑後地区理科(生活科)教育研究大会の会場となる。
  13年(2001)  柳川市教育委員会より研究指定をうける。(生徒指導)「生徒指導の機能を生かした教育活動」
 

15年(2003)

 柳川市教育研究指定校発表会をする。「自己指導能力の育てる学習の創造」
 

16年(2004)

 学童保育所ができる。(二棟一階)
 

19年(2007)

 筑後地区特別活動研究大会の会場となる。
 校歌の作曲者物語「童心を歌に寄せ」完成。
 

20年(2008)

 県教委より重点課題研究委嘱を受ける。 (3カ年)
 「Nakanishi stage」中庭に命名する。
 

21年(2009)

 学校安心メールの登録により、不審者情報などの発信をはじめる。 

  22年(2010)

 玄関前に「校章」の花壇できる。

 1棟2階のトイレ改装。

 NIE実践指定校となる。(2年間)

  23年(2011)

 1月28日県重点課題研究委嘱校発表会をする。「基礎的な知識・技能を活用する能力の育成」 

  29年(2017)

 福岡県小学校生活科・総合的な学習の時間教育研究協議会研究大会をする。「つながりを豊かに創り出す子どもの育成」

学童移転。 

  31年(2019)  昭代中との間に通用口開通。

 

校章

校章●校章(School badge)のなりたちをしらべました。

どうやって校章ができたの?

原案を考えたのは、本校の卒業生で、本校でも勤務された藤吉学(まなぶ)先生でした。記録によれば、昭和28年のことでした。

 

校章にはどんな意味があるの? 

校歌の2番にある「ヒシの水路に影見せて」にちなんで、この地方の掘割に自生しているヒシ(菱)がテーマになっています。ヒシの葉を三枚集め、「知育」「徳育」「体育」を表しています。

6つのヒシの実が中央に集まって、1年生から6年生までの全校児童を表しています。

中心に校名の昭代第二小の頭文字「昭」の字をおいています。うしろのリボンには、二本のラインをえがき、昭代「第二」小学校を表しています。 

 

藤吉学先生について教えてください

藤吉学先生藤吉学先生は、西浜武・長藤の出身です。本校に3回「入学した」ことが自慢でした。

第一回は、昭和14年に浜武尋武尋常高等小学校への入学でした。 卒業されたのは、昭和20年の春のことでした。その時は、昭代第二国民学校といいました。

二回目の入学は、昭和28年に出身校に初めて奉職されたときです。このときに、校章を考えられたようです。

そして、第三回目は、昭和59年開校百周年のときのことでした。

絵や書が得意で、体育の先生としても活躍されました。 

 

校歌

昭代第二小学校校歌(旧濱武尋常高等小学校校歌)

昭和9年1月発表

作詞 中西 健蔵

作曲 津久 井昇

  1. 南風かおる 三瀦野の
    れい明の声 湧くところ
    集えり我ら 我が母校
    不知火燃ゆる 有明に
    映る雲仙 影すがし

  2. 菱の水路に 影見せて
    かけよ鵲(かささぎ) 雲は呼ぶ
    匂う橘(たちばな) さわやかに
    拓(ひら)けこの郷 土の香に
    躍る新緑 新なり

  3. 挙(こぞ)れ秋(とき)なり
    いざ立てよ
    昭代(濱武)健児と 名に負える
    ひびけ鉄腕 朗らかに
    秀眉に閃めく 剛健の
    意気は堂々 天を衝(つ)く

昭和9年1月発表

 

昭代干拓堤防から雲仙を望む水路の菱(ひし)

  • 昭代干拓堤防から雲仙を望む
  • 水路の菱(ひし)

 

本校の校歌について

本校の校歌は、昭和9年に旧制濱武尋常高等小学校の校歌として発表されました。

柳川・山門・三池地方の小・中・高等学校歌の中でもかなり早い時期の作品であることが分かります。

戦争の時代を越えて70年以上も歌い継いできました。

85才のおじいちゃん、おばあちゃん達も、お父さん・お母さんも、そして、孫たちもこの校歌を歌っています。

それは、歌詩が郷土の自然や人智を詠み込んでおり、干拓地で雄々しく生きてきた郷土の人々の息吹を感じるものだったからでしょう。

また、津久井先生の曲は、1年生から6年生までの子どもたちに歌いやすい音域の中で、わかりやすいメロディーで構成されています。

ところで、中西先生の詞に津久井先生の曲がどのような経緯でつけられたのかは、まだわかりません。

いずれにしても、若くして志半ばに亡くなられたお二人の作品である校歌をこれからも大事に歌い継いでいきたいと思います。

 

児童数

令和元年度

令和年6月1日現在 (単位:人) 

  1年 2年 3年 4年 5年 6年 あすなろ 合計
 男 子 13 20 21 21 23 21 120
 女 子 19 17 18 25 18 24 122
 計 32 37 39 46 41 45 242

 

 

 

 

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