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部課長の1分間スピーチ

「柳川藩ゆかりの刀剣」開催中

江島

柳川古文書館館長の江島香と申します。よろしくお願いします。

柳川古文書館では、毎年秋に企画展を開催しています。現在は(公財)立花財団立花家史料館の企画・構成による「柳河藩ゆかりの刀剣」を11月27日(日曜日)まで開催中です。
こうした企画展を実施すると、時々企画展に関連した史料をお持ちいただいたりすることがあります。今回は刀工のご子孫の2人がご来館され、お話をうかがうことができたので、その事を紹介したいと思います。

まず1人目は、展示している古文書に書かれている刀工「篠倉七左衛門」のご子孫です。この古文書には幾人かの柳河藩お抱えの職人の名前が書かれているのですが、その中に「御刀鍛冶 篠倉七左衛門」と記されています。この史料はいつ作成されたのか分からなかったのですが、ご子孫の方から教えていただいたことによって、幕末の史料であることが分かりました。また、全国の刀工のデータを記載した「刀工総覧」という本がありますが、ここに記載されているデータを修正することもできました。

2人目は、展示している「柳川住 久弘」という銘がある刀剣の作者のご子孫です。この刀剣の作者は本名を武藤平七といい、京都で修行をして、幕末に柳河藩で刀工として活躍します。ご子孫が書かれた「武藤家聞き書き」という冊子によると、この平七には三男一女がいて、長男伝蔵が家督を継ぎ、次男武三郎は明治27年に上京して鉄工所を設立、三男喜三郎は現在の三橋町蒲船津で鍛冶屋をされたそうです。江戸時代の藩のお抱えとして活躍した職人が、藩が無くなったあとの明治時代以降、どのように新たな時代を生きたのかということは興味深い問題です。近年「明治の超絶技巧」としてそうした職人の技が取り上げられましたが、柳河藩の刀工についてもお話をうかがい、明治時代以降の生涯について知ることができました。

このように、企画展などの催しを通じてさまざまな情報を知らせていただくのは、大変うれしく、またありがたいことです。柳川古文書館では、古文書などの調査・収集・研究・公開を仕事としています。またその一方で、柳川市史という「やながわ」の歴史に関わる本を編集して刊行しています。両方の仕事とも、この「やながわ」という地域に生きた人々に関わる史料を保存して伝えていくとともに、地域の歴史を明らかにしていく仕事なのですが、皆さんから教えていただくことは、ただ単に知識が増えるだけではありません。いろんな方から教えていただくことによって、古文書から得た知識や情報が、書かれている以上のことを知るきっかけになっていきます。それは、その地域の歴史が、より豊かなものになっていくことにつながるのです。

 

次回の部課長ブログは人権・同和対策室長です。

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