皆さん、こんにちは。
大和庁舎市民サービス課長の大石涼子です。
皆さん、マイナンバーカードの申請はお済みですか。
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さて、今回は、北原白秋先生が作詞した、先生の母校である矢留小学校の「校歌」と「応援歌」についてお話したいと思います。
きっかけは、今年のお正月に開催した私の母校でもある矢留小学校の同窓会です。
「同窓会で母校に何か記念品を贈りたい」ということで幹事代表が小学校に尋ねたところ、体育館に掲示している北原白秋先生が作詞された「校歌」と併せて、「応援歌」も体育館に掲示したいとの希望でした。
北原白秋先生は、「ゆりかごのうた」「この道」「待ちぼうけ」「あめふり」などの童謡で有名ですが、昭和期には、作曲家山田耕筰先生と、数々の校歌を作られています。
矢留小学校「校歌」と「応援歌」作成の由来は…
昭和11年4月30日、白秋先生が幼なじみの北原甚吉氏(現在の北原履物店)へ宛てた手紙の中で「矢留小学校校歌」や「応援歌」の作成に至った様子が伺えます。
白秋先生はこの時期に、多くの小中学校から校歌の作詞依頼を受けていますが、このときは、まっ先に「矢留小学校校歌」と「応援歌」の二編を仕上げて、どちらも山田耕筰先生の作曲もそろえて、母校へ寄贈されています。
そのときの事情を記した白秋先生の書簡です。
「啓上、其後は悠々御健祥の事と存じます。
実は、下村多記氏(矢留小学校第8代校長)時代に一寸話があり色々心がけておいた矢留校の校歌が、このほど感興がしきりに湧いて、応援歌までが出来て了ったわけです。
それで、君のところまで別封で発送しますゆゑお届け願上げます。
二篇共私の作歌の分は母校へ献げる微意をお伝へ下さるやうに。
作曲はすでに山田耕筰氏に二篇共依頼しておきました。
おほよそ出来たさうですから二三日うちにお届けします。
(中略)
白秋作耕筰曲の校歌や応援歌を一つの学校で二つも所有してゐるのは帝国大学の外にはありません。
尤も帝大のは純然たる校歌でないゆゑ、正しく云へば矢留校が日本にただ一つといふことになります。
(後略)
皆さんによろしく願ひます。
四月 尽 北原白秋
北原甚吉 様 」
岩波書店「白秋全集39」より抜粋
今年の同窓会をきっかけに、小学生のころ、体育館や運動場でみんなと歌っていた母校の「校歌」や「応援歌」の歴史や貴重さをあらためて知ることができました。
たまには、小学校の思い出と共に口ずさみたいと思います。
もちろん、白秋詩碑苑でよく合唱した「帰去来」の唄も…
追伸
久しぶりに同窓会であった仲間と、「沖端水天宮まつり」に出かけ、「ひょうたん(お守り)」と「串だんご」を買いました。
ひょうたん
この祭りのときに木製のひょうたんの形をした水難事故防止のお守が販売されています。
子どものころ、泳ぐときにこのお守りを首からさげていました。
串だんご
1本に2個、その分大きいです。
なかなかの食べごたえ?
来週の部課長ブログは消防本部警防課長です。